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名所紹介(史跡・名木)

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史跡・名木紹介

明治神宮外苑之記風景写真

明治神宮外苑之記
明治神宮(内苑)が国費によって造営されたのに対し、外苑は、民間有志で結成された「明治神宮奉賛会」により、国民より寄付金を募り造営され大正15年10月22日明治神宮に奉献されました。
こうした外苑造営の由来について記した石碑が、この「明治神宮外苑之記」です。
昭和54年4月いちょう並木東の植樹帯より青山口現在地に移設。

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いちょう並木風景写真

いちょう並木
青山通り口から外苑中央広場円周道路に至る四並列の街路樹として植栽されたいちょう並木は、春の芽生え、夏の青葉、秋の黄葉、冬の裸木と、その人工自然美の素晴らしさから、四季を通じて都民に親しまれ、白亜の絵画館を望むいちょうの大木が作り出す景観の美しさは、世界的に知られているところです。

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御観兵榎風景写真

御観兵榎
外苑の敷地は造営前は青山練兵場でしたが、ここでは、明治天皇御台臨のもとに、明治22年2月11日の憲法発布観兵式、明治39年4月30日の日露戦役凱旋観兵式などが行われました。
その際、明治天皇の御座所は常にこの榎の大木の西側に設けられていましたので、この木を「御観兵榎」と名付け、長く保存することとなり、現在に至ってます。(現在は二代目の榎)です。

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憲法記念館(明治記念館)風景写真

憲法記念館(明治記念館)
明治22年の帝国憲法制定の際に会議場として使用された明治を偲ぶ文化財、明治宮殿様式を今に伝える建物です。
仮皇居の取り壊しの際、伊藤博文公に下賜され、「恩賜館」と名付けられ保存されていました。その後、神宮外苑造営にあたり子息より寄贈され現在地に移築したものです。
現在は明治神宮総合結婚式場「明治記念館」として人生の門出を祝う場所に利用されております。

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シロマツ風景写真

シロマツ
中国北西部原産のマツで、日本では比較的珍しく、絵画館前庭の池の両側に整然と3本ずつ植えられております。
中国では王宮、寺院などに多く植えられており成木は、樹皮がはがれて白い肌がまだらに現れます。

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葬場殿趾風景写真

葬場殿趾
絵画館の真裏にある葬場殿趾の石碑は、大正元年9月13日明治天皇の御大喪が旧青山練兵場で行われましたとき、この場所に御轜車(ひつぎを乗せる車)が安置されたことから、外苑造営にあたり葬場殿を記念として建立されました。
石壇の中央にある楠は、建立と同時に植樹された記念樹で、今では堂々とした見事な大木に成長し、石碑に優しい影をなげかけています。

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樺太日露国境天測標風景写真

樺太日露国境天測標
日露戦争の後、明治38年に締結された日露講和条約で、樺太の北緯50度以南は、日本の領土となりましたが、その境界を標するために4基の天測標と17標の小標石が建てられました。
現在、絵画館前庭西側にあるこの境界天測標石はレプリカで、外苑造営時に当時の樺太庁から奉納されたものです。

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御鷹の松風景写真

御鷹の松
江戸幕府三代将軍徳川家光が鷹狩りの途中、後に国立競技場の敷地となった境妙寺で休息していたところ、江戸城より愛鷹「遊女」が飛来し、境内前庭の松に止まったという言い伝えがあります。
家光はこれを大いに喜び、この松を「遊女の松」と名付けたとか。
時代が下ってからは「御鷹の松」、また地名から「霞の松」と称されるようになりました。
昭和54年8月絵画館前庭西側の現在地に移設。

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国立競技場(旧明治神宮競技場)風景写真

国立競技場(旧明治神宮競技場)
外苑の諸施設の中で最も早く、大正13年10月25日に竣工し、同月、第1回明治神宮競技大会(名称はいく度か変わりましたが、現在の国民体育大会の基となった大会)が開かれその後陸上を始め各種の競技・球技場として活躍してまいりました。
昭和39年の東京オリンピック大会を機に、国立のスタジアム建設に全面協力し、昭和31年外苑より国に譲渡、改修後6万人収容の大競技場として現在に至るまで大いに活用されております。

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建国記念文庫風景写真

建国記念文庫
祝日「建国記念の日」の制定を記念して建てられました。
制定にあたっては、一部の根強い反対があり難航しましたが、数十万通にもおよぶ国民の熱烈な制定希望の意見書が寄せられ、昭和42年から「建国記念の日」は国民の休日になりました。
当文庫は、こうした経緯を後世に伝え、制定希望の意見書を保管するために、奄美半島の穀物倉高床様式を移築したものです。

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